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GREETING

アスリート学生から一人でも多くの成功者を出し、ひとつのムーブメントを作る

なぜ、私がアスリート学生のキャリアサポートを始めたかというと、スポーツを真剣に取り組んできた人が、社会で活躍できていない状況を目の当たりにしたことが始まりです。私自身もプロ野球選手を引退後、社会にでてビジネスを始めましたが、右も左もわからない私が直面したのは、『失敗の連続』でした。


当時は、なぜ失敗するのかもわからず、自分の生活を守る事に必死でした。そんな状況を変えるキッカケになったのが、営業会社での経験でした。営業を学ぶにつれ、野球で学んだことが活かせることがあることに気づけたのです。

プロ野球選手になるのは簡単ではありません。人の何倍もの努力だけでは足りず、どうすればプロになれるのか?どうすればプロで居続けることができるのか?と自分に問いながら、努力プラス『考えること』が出来なければ、プロになることはできなかったと思います。

プロ野球選手になってからも、『考える』ことについて何十冊ものノートに、野村監督の教えを書き込み、それを実践していました。そのおかげで、13年間という比較的長い年数をプロ野球選手として続けることができたと思っています。

野球で学んだことが活かせると気づいてから、まわりを見ると、大半のアスリートが社会への切り替えに苦戦し、当時の輝きを無くしている人ばかりでした。それを見た私は、こう思いました。
「素晴らしい経験をしてきたのに、勿体ない!なんとか救いたい!」

そして、現在の事業をスタートし、これまで数多くの野球人やアスリートのキャリアサポートを実践することができました。そして、沢山の成功事例が続々出てきています!現在は、サポートメンバーも増え、沢山のキャリアサポートを実現できるようになったので、今後、更に拡大し、野球人やアスリートが社会で活躍できるようなサポートをしていきます。

私が、一番伝えたいことは、今まで積み上げた経験をどう活かせばいいかです。アスリートは目標が明確になれば強力なポテンシャルを発揮できます。そうなれる『気づき』をさまざまな角度から伝えていきたいと思います。

ADVISOR

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石毛 宏典

Hiromichi Ishige

駒澤大学、プリンスホテルを経て1981年に西武ライオンズに入団。西武黄金時代のチームリーダーとして活躍する。
その後、福岡ダイエーホークスに移籍。福岡ダイエーホークスの二軍監督、オリックス・ブルーウェーブの監督を歴任して、日本初の独立リーグである四国アイランドリーグを創設し、プロヘの道を広げる。


野球振興、野球教室で熱い指導に定評がある。人生100年に向けて沖縄の地でスポーツアカデミーを立ち上げ、スポーツ界の未来に向けて、沖縄のため、地方創生のため仲間とともに奮闘中。

​【経歴】

​【通算成績】

1975年

   市立銚子高校卒業
1979年

   駒澤大学経営学部卒業 プリンスホテル入社
1981年

   ドラフト1位指名を受け西武ライオンズに入団 新人王受賞
1995年

   FA宣言し福岡ダイエーホークスに移籍
1997年

   アメリカMLB• LAドジャースヘコーチ留学
1998年

   福岡ダイエーホークスニ軍監督に就任
2002年

   オリックス・ブルーウェーブ監督に就任
2004年

   株式会社IBLJ代表取締役に就任 四国アイランドリーグを設立
2009年11月

   『石毛宏典の「独立リーグ」奮闘記』上梓
2022年10月

   琉球スポーツアカデミー(株)を創立

出場試合数1796、打率0.283、塁打237、得点847

​【主な表彰】

パ・リーグ新人王(1981年)

パ・リーグMVP(1986年)

日本シリーズMVP(1988年)

リーグ優勝 11回

埼玉西武ライオンズ 初代ミスターレオ

日本一 8回

ベストナイン 8回

ゴールデンクラブ賞 10回

オールスター出場 14回

三浦 泰年

Yasutoshi Miura

静岡学園高校卒業後、ブラジルのサントスFCでのサッカー留学を経て、1986年に読売サッカークラブに入団。Jリーグ発足に伴い、1992年に前身となるチームを持たず新規に立ち上げられた清水エスパルスに移籍し初代キャプテンとして活躍し、日本代表にも選出。

 

引退後はヴィッセル神戸の統括本部長や東京ヴェルディなど様々なクラブで監督としても活躍。

​【所属クラブ】

​1965年-1980年 城内FC

1981年-1983年 静岡学園高校

​1984年-1985年 ブラジル サントスFC

1986年-1992年 読売クラブ

1992年-1995年 清水エスパルス

1996年-1998年 ヴェルディ川崎

1999年-2001年 アビスパ福岡

​2002年-2003年 ヴィッセル神戸

​【指導者経歴】

2004年-2005年 ヴィッセル神戸 チーム統括本部長

2006年-2009年 静岡FCテクニカルディレクター(総監督)

2011年-2012年 ギラヴァンツ北九州 監督

2013年-2014年 東京ヴェルディ 監督

2015年      チェンマイFC 監督

2016年      カターレ富山 監督

2017年-2018年 鹿児島ユナイテッドFC 監督

2019年-2020年 ソコーロSC U-20 監督

2021年-2024年 鈴鹿ポイントゲッターズ 監督

2024年      アトレチコ鈴鹿クラブ 監督

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大林 素子

Motoko Obayashi

元バレーボール日本代表。1988年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタと3度のオリンピックに出場。1991年には日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAで活躍し、その後の選手の道を開いた。

 

引退後は、スポーツキャスター、タレント、女優として多方面で活動し、現在はバレーボールSVリーグPRアンバサダーも務め、バレーボールの普及や後進の育成に尽力するなど、幅広い分野で活躍を続けている。

​【経歴】

1967年

   東京都小平市 出身。
1980年代

   バレーボール選手としてのキャリアをスタート。類稀なる才能で注目を集める。
1986年

   日立(当時)に入社。第2回ワールドカップで日本代表に初選出される。
1988年

   ソウルオリンピック出場。
1991年

   イタリア・セリエAのアンコーナに所属。日本人プロバレーボール選手第1号となる。
1992年

   バルセロナオリンピック出場。
1994年

   Vリーグ(当時)の東洋紡オーキスに入団。
1996年

   アトランタオリンピック出場後、現役を引退。
引退後

   スポーツキャスター、タレント、女優など多方面で活躍。バレーボールの普及活動にも尽力。
2024年

   バレーボールSVリーグPRアンバサダーに就任。
現在

   幅広い分野で活躍中。

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会社名

ジェイシップ株式会社

設立

2017年3月

代表

代表取締役 城 友博

事業許可番号

有料職業紹介業許可番号 13-ユ-309290

事業内容

野球部学生/体育会学生に特化した採用支援事業

・野球部学生、体育会学生の採用コンサル事業
・就職マッチングイベントの企画、運営
・就職に関する学生向け個別指導
・就職セミナー / 講演

​芸能人のセカンドキャリア支援事業

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